ごめんなさいは、命の言葉 2014/05/17

ごめんなさいは、命の言葉

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梅澤千雅子さんの講話
彼女は、若い時は、バリバリのキャリアウーマンで自分一人で生きてる!と言うほどのワンマンぶりで仕事の過労からリュウマチになってしまったのです。

その後、長女を出産した後、なんとか母乳で育てようとステロイド剤を拒否、自分の体を犠牲にしてしまい、とうとう、身体障害者になってしまったのです。

今は、毎日24時間痛みと闘いながら、車椅子の生活ですが、画家として活躍しながら、全国に講話でされています。<

壮絶な人生!話を聞いて涙を流さずには、いられませんでした。しょぼんしょぼんしょぼんしょぼん
絶望の中、

身体中の痛みと闘いながら絵画を書く画家となって新しい人生を切り開いた?

感謝が出来なかった自分汗汗
自己否定し過ぎて死を考えていたこともあるそうです。その時は、ベランダの外がキラキラとしたお花畑に見えていたそうです。ドンッドンッドンッ
そして自殺未遂をしてしまった。

自分は、痛い、辛い、これ以上、生きていてもしかたない、そう思ったそうです。爆弾爆弾爆弾
いつも介護してくれる母に八つ当たりばかりして母が一番苦しかったのでは、ないかと気がついた。

その時、
「お母ちゃんが、息してるだけでいいから」って言ってくれた。

「生きていてもいいんや!」
と考えが変わった。
「母のために頑張ろう」と思って心が変化したそうです。
知り合いが、いい湯治場を紹介してくれて行って見た。
そしたら、周りの人の親切に触れた。
引きこもりだった自分、生き返った。
見ず知らずの人がとても親切で
どんどん外の世界に触れた。
そして人の目が気にならなくなった。
自分は、人の目を気にしている自分の目で見ていた事に気がついた。
人の目などない!!!!!はてなマーク
そしてある時、日本画に出逢った。その絵を見ると涙が溢れるようになった。
そしてそんな絵を書きたくなり、その画家に弟子入れさせてくれとお願いに行った。
しかし、すぐに断られた。
リュウマチのせいで
手首が動かない、線も丸もかけない。
しかし、その絵を描きたいの何度も何度も師匠にお願いいった。
そして一心不乱に書き続けた事で少しずつ書けるようになり、それからは、やればなんでもできると考えるようになった。
夢も希望もなかった自分に目標が出来た。
その師匠のような画家になることだった。その後に個展を開けるほどになりあちこち声がかかるようになった。
しかし、つかの間、
その後に右腕が粉砕骨折となり、
再起不能となった。
自分では、絵が書けないようになった。
その後、人工関節を入れている。
もう、画家の命をあきらめかけていた頃から…
その後のある人の出会いにより
アールグラージュの作家として復活することが出来た。過去の絵を利用してアートにする手法。
人間、出来ないことはないと改めて思った。
そして
2014年の1月に直腸ガンのステージ3の告知を受けた。2月に手術の予約となっていた。
自分のがん細胞は、もともといい細胞だったのに悪者にしてしまったのは、私だと悲しみと自分の体に申し訳ない気持ちが湧き上がって来た。
そしてガンの細胞に対してごめんなさいを2週間言い続けた。
2月21日は、ガンの摘出する手術だった。
手術後に勧められる抗ガン剤は、一切断わっていたが、
手術当日、予定通りの摘出手術で医師は驚いた。メラメラメラメラメラメラ
なんとがん細胞がなくなっていた。ドキドキドキドキドキドキ
こんなことがあるのか?
…………
私、大崎は、人間の体に病気を作るのは、心が大きく影響している。まさしく、その話を聞いて思ったのです。
……………
彼女がなぜここまでひどい状態の体になって来たのか?
汗汗汗汗汗汗
幼い頃、母親の再婚相手に幼児虐待を受けていた。
そして性的虐待も受けるような青春期
になった。そして身を守るために包丁を隠して寝ていた。
しかし、母は、守ってくれなかった。
高校時代には、家に帰らずヤクザや暴走族と付き合うようになった。
そして家を出てアパートに住むようになって始めてほっと出来る家が出来た。
友達がいろんなものを持って来て自分のことを助けてくれた。
自分が強くならないと行けない生活になっていた。
そして強い女性になっていた。
結婚して子供を産んで幸せになるはずが、
1人目の子供の出産を期に体が突然痛くなり動かなくなった。リュウマチの始まり。不治の病と判断された。
しかし、なんとか改善し、2人目の出産が悲劇のきっかけになった。それからは、痛みと24時間闘いながら生きている。
40度の熱が10ヶ月続いたことがあった。
ひとりで寝返りも出来なかったと言う。
母は、必死で看病してくれた。
自分が病気になって母が看病をしてくれるようになって 憎い父と再び一緒に同居になってしまった。
子供の頃から、怨みを持ち続けていた。
リュウマチ以外にも粉砕骨折になった時、同時に父は、肺気腫になった。
肺が苦しく息ができない病気だそうだ。
危篤状態になるまでお見舞いに行かなかった。
最後の日にどうしても病院で酸素急にゆうの器械を体につけるためにサインをしに行かないと行けなくなり、病院に行くことになった。もう、その器械をつけると話すことが出来なくなるが、本人は、楽になると言う。
はじめて病院にいった。
その時、父が苦しみもがきながら、必死の声を絞って
「千賀子ごめん」と言ってくれた。
そのことを聞いて始めて怨みが消えた。
神様の配慮か?
天皇誕生日に亡くなった。
お通夜は、Xmasイブ、お葬式がXmasの日であった。
今思うと、リュウマチになった原因の一つには、父に対する怨みだったのではないか?と?
がん細胞が出来るのも消えるのもリュウマチの原因もみんな心が関係していたのでしょうか?
人間の体は?不思議。はてなマークはてなマークはてなマーク
ごめんなさいと言う言葉は、
自分も相手も許す言葉

本当に感動のお話でした。

自分の体に異変が起きるのは、自分の心の持ち方が病気を作っているのか?

病気は、心の赤信号と言います心と体常にバランスを保つことが大切ですね。

梅澤さんは、世の中の人の希望を失った人たちに知らせなくては!との思いで本日のような講演をされています。

人は、自信を失った時、ひきこもるのではなく前向きになれば、助けてくれる人がいっぱいいると!

外に向かって出かけて行くことでいろんな発見がある。どんな時でも夢や希望を持つべきだと言われていました。

全くの素人で筆も持てない体から、画家になるまで登り詰めました。

七転び八起きの人生、
彼女の話を聞くと私たちは,恵まれている、そう思いました。
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長いお話を読んで頂き
ありがとうございました。

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